撤退の農村計画 > 記事 : 林直樹(2010):「過疎集落から始まる国土利用の再構築」に関するメモランダム.都市問題,第102巻第5号,68-75.
  • 林直樹(2010):「過疎集落から始まる国土利用の再構築」に関するメモランダム.都市問題,第102巻第5号,68-75.

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     共同研究会「撤退の農村計画」では、熊本大学の学術レポジトリにならって、原則として、全文を公開しています。これは著者最終稿をもとにしたものであり、その後の発行者・出版者側のレイアウト調整・誤字脱字調整、著者の校正は入っていません。

    1 全体の流れ

     本稿では国全体の人口が減少する時代の国土利用の再構築について論じる。第2章では都市・農村を問わず、日本の将来と議論の焦点に触れる。どちらかといえば考え方そのものについての提言である。第3章では農村全体の当面の方針について考える。第4章では過疎対策を起点とする「力の温存」戦略の「たたき台」を提供する。第5章は激変の時代を生きる国土利用の研究者へのメッセージである。

    2 日本の将来と議論の焦点

    2.1 国土利用の衰退

     東京のような大都市はさておき、地方では都市・農村を問わず、シャッター街や限界集落など、土地利用(国土利用)の衰退が目立つ。実際のところ、「この先も今の生活を続けること」は難しい。たとえば昨年生まれた子どもが70歳になるころ、わが国の人口は半分以下になるという1)。いわゆる国力の低下は不可避であろう。よって国からの支援(地方交付税など)に依存している農村(特に過疎地)は、いっそう厳しくなる。むろん都市も安泰とは限らない。

     「TPPに参加すれば国力は低下しない」といった意見を耳にすることもあるが、それは難しいと思う。移民が解決してくれる問題でもない。そもそも、この先は日本以外のアジア諸国も人口が減少する。韓国は2015〜2020年、中国は2025〜2030年、タイ、ベトナムは2040〜2045年に総人口が減少に転じると予想されている2)

     結局のところ、日本の国力の低下は不可避であろう。それは「無い袖は振れぬ」という問題である。「みんなが助け合えば大丈夫である」といった精神論は、かえって問題の本質を見えにくくするだけである。むろん助け合いは大切であるが、それでカバーできるものは、かなり限定的である。

     好むと好まざるにかかわらず、国土利用も縮小するであろう。たとえば道路について考えてみよう。道路の維持管理費は決して安くはない(表1)。今の道路をすべて維持したまま国全体の人口が半分になれば、国民1人あたりの負担は約2倍になる。これだけでも縮小が不可避であることが容易に想像できる。そもそも、わたしたちのご先祖は人口の増加とともに森林を切り開き、国土利用を拡大してきた。人口の減少とともに、それが縮小することは別に不自然なことではない。

    表1
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    2.2 議論の焦点

     この先の国土利用についての議論の焦点は「国民を幸福にする拡大か、不幸にする縮小か」ではなく、「国民を幸福にする縮小か、不幸にする縮小か」になるであろう。むろん何が幸福かは国民が決めることである。都市・農村、短期・長期を問わず、国民を幸福にする縮小を考えてほしい。もう少しいえば、縮小した状態よりも、その過程を考えるほうがむずかしい。たとえば、ある一定の場所に住んでいる人、あるいは一定の世代が犠牲になるようでは大いに問題である。議論に参加できない世代に後始末を押しつけるようなことは言語道断である。

     すでに都市ではコンパクトシティーといった議論が進んでいる。一方、広大な面積を占める農村についての議論は、ほとんど進んでいない。田畑や人工林をどうするかといった議論も遅れている。「田畑や人工林の管理はボランティアにまかせる」という意見もあるが、あまり現実的ではない。むろんボランティアのこころざしはすばらしいが、広大な山野に対して、あまりに人数が少ない。いささか逆説的であるが個々の活動が新聞などに出るようでは、まだまだ先は遠い。

    3 農村全体の当面の方針

    3.1 大量輸入が続く場合

     農村全体の当面の方針について考えてみよう。この先も石油や食料などの大量輸入は続くのか。非常に単純な問いであるが、これによって方針は大きく変わる。もしも「続く」と考えるなら、「さびしい」といった感情面はさておき、大多数の国民にとって農村の消滅は大きな問題にはならないと思う。これに対し「大洪水や水不足が頻発し、都市も壊滅する」といった意見もある。確かに農村が消滅すれば大洪水などが多少増える可能性はあるが、前述の意見は強調しすぎである。

    3.2 大量輸入が続かない場合

     わたしは「続かない」と考えている。品切れではなく、買うお金が不足するであろう。「続かない」と考えるなら、農村の消滅は深刻な問題になる。特に「石油の力に頼らず山野の恵みを持続的に利用する技術」が失われることが大きい(図1)。今の日本では石油がなければ何も動かない。たとえば東日本大震災では一時期、燃料が不足し、行動が大きく制限された。「失われる前に技術を記録しておけばよい」という意見もある。しかし、そのような技術は工業的なものではなく、むしろ文化の一部である。人々の生活がなくなれば多くが失われるであろう。もっとも、それ以前の問題として、もはや時間がない。過疎集落についていえば消滅は目前である。

     土地の性質が変わってしまうことも問題である。たとえば長い間放置された田畑をもとの状態に戻すことは決して容易ではない。都市の感覚では「何もしないことが自然」であるが、人工林の場合、何もしないと荒れてしまう(図2)。放置された人工林では表土が流出しやすいといわれる。「たかが表土」と感じる人も少なくないと思うが、肥よくな表土は農林業の基盤である。

     技術もなく、土地も貧しいとなれば多くの国民が飢えや寒さに苦しむことになる。あまり考えたくはないが、大量輸入が一気にとだえる場合は、かなり悲惨であろう。2009年度のカロリーベース総合食料自給率は40%であるが、「仮に海上封鎖になっても、今の40%は確保できる」という意味ではない。石油がなければトラクターも動かない。肥料の輸入も考慮すると、ずっと少ないはずである。危機感をあおるつもりはないが、都市に住んでいる人は相当の覚悟が必要である。

    図1
    図1 伝統的な焼き畑は非常に合理的な農法といわれる。 撮影:永松敦氏

    図2
    図2 左半分が管理状態のわるい人工林。昼でも暗いことが多い。 著者撮影

    3.3 農村は好機をつかむことができるか

     以下、「続かない」と仮定して話を進める。別の角度からみれば「大量輸入」の終わりは農村再興の好機となる(「大量輸入」の終わりを望んでいるということではない)。ただし、それは何十年、何百年という時間スケールでの話である。好機が到来したとき農村が健在である可能性は、むしろ低いであろう。

    3.4 これまでの発想とその限界

     そもそも農村衰退の最大の要因は、生産物からの収入が少ないことである。確かに「TPP反対。何か理由を探してもっと補助金を」といいたくもなる。しかし今のような農林業の手厚い保護は長くは続かないであろう。おそらく減ることはあっても増えることはない。繰り返しになるが「無い袖は振れぬ」という問題である。どれだけ「農村はすばらしい。命の源である」とアピールしても、この状況はすぐには変わらないであろう。

     別の方法もある。国民が心を入れ替えて、国内の食料などを高値で大量に購入することである。しかし、おいしい輸入食品に手が届く状態で、「100年先にそなえて、日本の米やひえ、あわを高値で買って食べなさい」といわれても、実際のところは難しいと思う。これだけ「米を食べましょう」とアピールしても、食料需給表を見るかぎり、1人あたりの米の消費の減少には歯止めがかかっていない。石油にしても輸入食品にしても、「あるうちは、ほどほどに利用する」が自然であろう。よって農村の苦境は、もうしばらくの間、少なくとも10年、20年は続く可能性が高い。

    3.5 これからは「力の温存」戦略

     国の実情にあった無理のない方針が必要である。何にしても精神主義は身をほろぼす。それは先の大戦が教えてくれたことではないか。国民が求めているものは合理的な方針である。もしも「長い時間スケールでみれば大量輸入は続かない(農村再興の好機は到来する)」、「農村の苦境はしばらく続く」が正しいとすれば、合理的に導き出される当面の方針は意外にも単純である。しばらくは無理をせず、力を温存すべきである。力を温存し、好機が到来したら確実につかむという戦略(以下、「力の温存」戦略)を考えてほしい。「温存」といっても時間を止めることはできない。「温存」を強く意識した国土利用の再構築が必要である。「国民を幸福にする縮小」である。これは農村だけでなく、都市にも当てはまるであろう。

     もう少し包括的な話をすれば、世界的な激変の時代には「気候変動や戦争などの大きな変化に対し、エネルギーや食料の供給が即座に対応できること」が重要になるであろう。今の日本は「花壇」を連想させる。見た目はさておき、大きな変化に対し非常に弱い。雑木林のように、もっと「雑多」であるべきではないか。むろん、これは現代的な技術を否定するものではない。たとえば将来、国民が「現代的な技術の結晶のひとつである原子力発電所」の廃止を選択したとしても、1か所は残しておくべきである。ここでの「雑多」は昔の状態という意味ではない。この先は「環境即応力」で国力が評価される時代が到来するかもしれない。それはGDPや食料自給率とは大きく異なるものである。

     次の章では過疎対策を起点とする「力の温存」戦略について、もう少し具体的に説明したい。「これが唯一の正解」ということではなく、あくまで議論のための「たたき台」である。過疎集落には日本の国土利用の問題の一端が凝縮されている。ここが突破できれば、未来はかなり明るくなるであろう。「過疎集落は日本の原風景、よって守るべき」という議論で止まらないでほしい。このような文脈で登場する「原風景」は大抵の場合、高度成長期直前の農村の姿であるが、それが時代を超越した正解である理由はどこにもない。

    4 過疎対策を起点とする「力の温存」戦略

    4.1 過疎対策の正攻法とその限界

     過疎対策の正攻法はUIターンなどで集落の人口を維持することである。若い世帯の農村移住、定年帰農、二地域居住などがあるが、いずれも限定的であり、すべての過疎集落の人口を維持することは難しい3)。実際のところ、現場に近い人ほど正攻法の限界を肌身で感じている。

    4.2 拠点集落の構築

     このような状況では、「地域」ごとに、少数の拠点集落で「石油の力に頼らず山野の恵みを持続的に利用する技術(文化)」を守るという戦略が効果的であろう。むろん個々の集落の文化に優劣をつけるという話ではない。明確な目的意識をもって拠点集落にIターン者などを集約してはどうか。例えるなら細くとも確実に残る文化の「種火」をつくるということである。なお、わたしは文化を守るための拠点集落を「種火集落」と呼んでいる。

     人材育成という点でも、拠点集落にスタッフが集まるほうが有利である。Iターン者を「集落の戦力」と考えるなら、人材育成には相当の手間が必要になることを強調しておく。生活の維持という点でも拠点集落に集まって、1集落あたりの戸数を増やすほうが有利である。

    4.3 次善策が必要

     拠点集落を決めることは、同時に「それ以外」を決めることでもある。当然、「それ以外」への次善策が必要である。関係者の理解を得るためには、むしろ、この次善策のほうが重要かもしれない。「地域」に住んでいる人の気持ちを考えれば、それは何ら不思議なことではない。それにもかかわらず、わたしが知るかぎり、コンパクトシティーの議論でも、この点はあまり重視されていない。このままでは「絵に描いたもち」になるであろう。見方を変えると、具体的な次善策があればコンパクトシティーは劇的に進むということである。

     さて一口に「それ以外」といっても、当面、難なく維持できる集落もあれば、消滅が現実的になっている集落もある。後者への次善策を考えてみよう。大きくわけると選択肢は2つ、「尊厳ある最期・むらおさめ4)」と「集落移転」がある。どちらを採用するかは、あくまで集落全員が決めることであるが、「力の温存」戦略を採用するのであれば「集落移転」が望ましい。本稿では「集落移転」という選択肢を紹介したい。あえて過激なことばを使うなら「撤退」という選択肢である。しかし実際の戦争と同様、撤退は敗北ではなく、むしろ勝利への通過点のひとつである。

    4.4 過疎集落の現状

     その前に過疎集落の現状を説明しておく。「緑の楽園」といった誤ったイメージで議論すると、感情論に突入する危険がある。雪が多い山あいの小さな集落を想定してほしい。都市に住む人にとって、「集落」という概念は難解かもしれない。とりあえず、小さな町内会程度の集団としておけば、大きく外れることはない。

     過疎集落では自家用車が利用できない状況で病気がちになると、日常生活が非常に厳しくなる。その多くは高齢者である。生活が成り立たなくなると、ぽつりぽつりと離村し、都市の息子・娘の家や施設に向かうことになる。今は「明るい未来を追って都市に向かう」という時代ではない。こうなると頼りの地縁が切れてしまう。緑の農村からコンクリートの都市に向かった高齢者が、生活の変化に苦しむこともある。「子どもの家に引っ越したら、しばらくして小さな孫に『いつ帰るのか』といわれた」といった悲しい話もある。それでも寄る辺のある高齢者は恵まれているほうである。

     10年以内に消滅する可能性のある集落は423(集落)、「いずれ消滅」を含めると2,643にのぼるという5)。このままでは所有者すらわからない荒れた山野、粗大ゴミの山、膨大な借金(国債など)しか残らない。借金は今よりもはるかに少ない人数で返済することになる。

    4.5 集落移転という選択肢

     この場合の集落移転は、集落全員の合意による「生活再建のための集落移転」である。弱者の置き去りが防ぐ「くふう」も大切である(図3)。比較的緑が多い地方小都市に集団で移転した場合、静かな環境で安心して生活できる。若い世帯といっしょに生活できる可能性もある(図4)。集団ゆえの最大のメリットは地縁が維持されることであろう。共同体が健在であれば、いつの日かもとの場所に戻ることもできる。これも「力の温存」である。何より集落移転は移転した人から高い評価を受けている6)

     未来のある撤退を目指すなら、「誇りの再建7)」も非常に大切である。実際の戦争と同様、心が負けると撤退は成功しない。単に四散するだけである。面的な計画での留意点もある。コンパクトシティーの時代にあっては地方小都市も安泰とは限らない。移転先が衰退するようなことがあってはならない。過疎集落の問題は、都市計画と農村計画が高いレベルで連携しなければ解決しない。タイトルの「過疎集落からはじまる国土利用の再構築」という表現には、このような思いがある。

    図3
    図3 長野県松本市中北山地区の移転先。移転先には公営住宅もある。これがなければ置き去りが発生したかもしれない。 撮影:齋藤晋氏

    図4
    図4 秋田県湯沢市雨外集落の移転先。移転により後継者が戻ってきた。 撮影:齋藤晋氏

    4.6 土地管理

     土地管理への次善策も必要である。使わない水田を放牧地にしておけば、比較的短時間でもとに戻すことができるという8)。荒れた人工林に広葉樹を導入すれば、表土が流出する危険も下がるといわれる。肥よくな表土が健在なら将来好機が到来したとき、いかようにも対応できるであろう。いずれも「力の温存」であり、日本の「環境即応力」を高めることになる。国土利用の再構築によって、あまり使わなくなった道路は、撤収するか管理を簡素化する。何も高いお金をかけて維持する必要はない。必要になったときに作り直せばよい。

    5 日本の未来は明るい

     わたしたちは70年後の人々から、どのように評価されるであろうか。このままでは「人口減少時代を予想していながら、なぜ誰も人口増加時代の政策をとめなかったのか」となるであろう。草葉の陰から「あのときの世の流れでは、ああするしかなかった」というかもしれない。つまり大まかな枠組みだけをみれば、「先の大戦の指導層は無能であった」といった話と何も変わらないということである。

     この激変の時代にあっては国民が国土利用についての「複数の青写真」を比較し、みずからの責任で選び、仕上げるという流れが望ましい。青写真の作成は主に研究者の仕事である。「何もないところから国民が議論すべき」という意見もあるが、それは激変の時代にはあわない。生活する側の視点で考えれば何ら難しい話ではない。何もないところから、今以外の生活を具体的にイメージできる人は少ない。どれだけ議論しても、「このままがよい」という結論に至るだけであろう。

     今は「正確な極小の写真」より、「少し雑で大きな青写真」が求められている。研究者にとって「少し雑」は恐怖であり、死活問題につながる危険もある。しかし、その恐怖を乗り越えることができる研究者は決して少なくない。その点において日本の未来は明るい。

    謝辞: 共同研究会「撤退の農村計画」のメンバーの皆様から多大なる協力を受けた。深くお礼申し上げる次第である。本研究の一部は、環境省の環境研究総合推進費(E-0902)の支援により実施された。

    1) 国立社会保障・人口問題研究所 編(2007):『日本の将来推計人口(平成18年12月推計)』,厚生統計協会.出生中位・死亡中位。
    2) 小峰隆夫・日本経済研究センター 編(2007):『超長期予測 老いるアジア』,日本経済新聞出版社.
    3) 林直樹・齋藤晋 編(2010):『撤退の農村計画―過疎地域からはじまる戦略的再編』,学芸出版社.
    4) 作野広和(2006):中山間地域における地域問題と集落の対応.経済地理学年報,第52巻,264-282.
    5) 国土交通省・総務省(2007):『国土形成計画策定のための集落の状況に関する現況把握調査(図表編)平成18年8月』.
    6) 総務省自治行政局過疎対策室(2009):『平成20年度版「過疎対策の現況」について(概要版)』.
    7) 小田切徳美(2009):『農山村再生―「限界集落」問題を超えて』,岩波書店.
    8) 有田博之(2005):ウシの放牧が持つ耕作放棄田の管理機能と土地利用.農業土木学会論文集,235,51-58.





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