撤退の農村計画 > 記事 : 林直樹・齋藤晋・朝野賢司・杉山大志(2011):震災後集団移転の成功要因:新潟県小千谷市十二平の経験に学ぶ.電力中央研究所社会経済研究所ディスカッションペーパー,SERC11013.
  • 林直樹・齋藤晋・朝野賢司・杉山大志(2011):震災後集団移転の成功要因:新潟県小千谷市十二平の経験に学ぶ.電力中央研究所社会経済研究所ディスカッションペーパー,SERC11013.

    本稿は、(財)電力中央研究所の許諾を得て転載しています。全文は、以下よりダウンロードできます。ぜひご利用ください。

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    1 はじめに

     東日本大震災の発生から約3か月が経過したが,第8回東日本大震災復興構想会議(2011年6月4日)の配付資料*1を見るかぎり,復興へのビジョンは,いまだ貧弱といわざるをえない。そのなかの多くは震災前から盛んに言われていた概念の繰り返しであり,実務的な検討までブレークダウンできていない。東日本大震災からの復興においては小手先だけでなく,国土利用の在り方という見地からの対応策も不可欠である。「誰がどこに住むか」といった基本的な課題も決して例外ではない。そのような議論を避けて,エネルギーや環境の問題についても論じても,絵に描いたもちにしかならないであろう。

     その点について最近,高台への集団移転(集落移転)が注目され,可能性が議論されている。これまで口にすることさえ敬遠されてきたことを考えると,これは大きな前進であるが,多くはいまだ抽象的なものにとどまっている。この研究のねらいは,東日本大震災からの復興でも必要になると考えられる集団移転についての議論をさらに活発にすることである。住民がいっそう幸福となる集団移転の形を見つけ出すことを目指して,過去の具体的な成功事例を分析・紹介する。

     さて,一口で集団移転といったが,それは大きく3種類に分けることができる。第1は土木工事,たとえばダム建設などに伴う移転である。第2は自然災害に伴う移転であり,これは防災集団移転促進事業などとして実施されてきた。第3は過疎対策としての移転であり,これは過疎地域集落再編整備事業などとして実施されてきた。第3の過疎対策については山あいから平場への移転が典型的である。なお,第2と第3については明瞭に区別できないことも多い。例えば,自然災害をきっかけとして山あいの過疎集落が平場に移転するような場合である。

     被災地の多くは震災前から人口が減少していた。例えば女川町の場合,1980年の人口は16,105人であったが,2005年は10,723人に減少した*2。そして大震災がなくても,2035年の人口はわずか5,580人になると推計されている*3。この先,多くの地区が過疎で苦しむことは,ほぼまちがいない。つまり東日本大震災からの復興という点では「第2(災害対策)と第3(過疎対策)の混合型」の移転に注目する必要がある。

     ところで集団移転は,これまでどのように評価されてきたのであろうか。著者らが知るかぎり,識者の間では否定的な声が少なくない。過疎地の研究で有名な大野晃氏も,集落移転には反対している*4。著者らが研究会などで集団移転について発表をすると,「ふるさとから引きはがす気か」といった感情的な反論が寄せられることが多い。しかし総務省自治行政局過疎対策室の資料*5によると,実際に移転した人々からの評価は高い。また著者らは,第3の移転について,いくつかの事例を調べてきたが,移転した人々は高く評価していた*6,*7。識者の意見と地元の人々の評価は大きく違っていた。

     この研究では「第2と第3の混合型」と考えられる新潟県小千谷市十二平地区の集団移転に注目して,その評価と成功要因を探った。結論からいうと,この集団移転も,多くの識者の意見に反し,高い評価を受けていた。また,この移転の成功は,金銭面で大きな問題がなかったという好条件だけでなく,さまざまな人的・組織的要因にも支えられていた。そして今後の東日本大震災からの復興における集団移転を成功に導くためのいくつかの要素を読み取ることもできた。

    2 新潟県小千谷市十二平地区の集団移転

     新潟県小千谷市の山あいの過疎集落,十二平地区は,2004年に発生した新潟県中越地震(中越大震災)で大きな被害を受け,住民のほとんどが道路距離で約14km離れた平場の三仏生(さんぶしょう)に集団で引っ越した(図1参照)。11戸のうち10戸が三仏生に,1戸が千谷地区に向かった*8。なお,山あいとはいえ十二平地区は主要地方道(県道23号線)沿いにあった。

    図1
    ↑図1

     この集団移転では防災集団移転促進事業が利用された。初期の計画によると*9,事業費は1億1400万円(住宅団地用地取得及び造成1400万円,住宅建設等の利子補給6300万円,公共施設整備2800万円,移転者助成900万円)で,住宅団地面積は3,000m2(一戸当たり敷地面積230m2,道路500m2,広場200m2)であった。

     農協の建物更正共済(全戸が加入)の補償金(満額)などがあったため,住宅建設費用が計2500万円以下だった世帯は新たな債務を負うことは実質的になかった*8。つまり住民の負担は比較的軽かったといえる。

     図2は著者(林)が見た冬の移転跡地である。写真ではわかりにくいが,深い雪に閉ざされていた。図3は同じ日に撮影した移転先の三仏生である。目の前にスーパーストア(ベイシア)が見えた。なお,直接は見ていないが移転先にも畑があるという*8

    図2
    ↑図2

    図3
    ↑図3

    3 十二平地区の集団移転の評価

     記録誌*8に掲載されたインタビューを読めば評価は明らかである。「三仏生では漬け物が作れなくてね」といった声もあったが,「ここは十二平の人たちの顔がいつでも見られるので安心だし,集団移転してよかったよ」「今の方が落ち着いていて幸せだ」「医者と買い物は便利になった」といった評価が多かった。「いずれは出なくてはいけないと思っていたから,良いきっかけになりましたね」といった声もあった。

     このように集団移転の評価は低いどころか,かなり高かった。それにもかかわらず,なぜ多くの識者が集団移転をひとくくりに酷評するのか。約20年前,鹿児島県阿久根市の本之牟礼地区の集団移転で移った人は,「もとの場所に住んでいたときは,あまり不便は感じなかったが,今振り返ってみると,若かったからがんばることができたのであって,移転先に連れてきてもらってよかった」と語った*6。つまり,あくまで想像であるが,移転直前の状態と比較するから,「酷評」になると考える。「移転せずに,そのまま衰退した状態」と比較すれば,そのような評価にはならないであろう。

    4 十二平地区の集団移転の成功要因

     十二平地区の集団移転の成功要因は何だったのか。前述のように,この移転は金銭的にも恵まれており,これが成功要因のひとつであることに疑う余地はない。住民の負担が重い場合,合意形成は難しくなり,移転後の生活も苦しくなる。しかし以下に示すように,お金の問題がすべてということではなかった。

    仮設住宅へのコミュニティ入居*10 ばらばらではなく,まとまって仮設住宅に入居したことがコミュニティ機能(自律的合意形成機能)の維持と発揮,ひいては集落移転の合意形成につながったという。単に同じ地区の仮設住宅に入居しただけでなく,その地区内においても,十二平の住民の仮設住宅は1か所にかたまっていた。このことが話し合いの促進に貢献したことは容易に想像できる。

    強力なリーダー: 合意形成の背景には強力なリーダーの存在があった*11。移転した住民のひとりは,リーダーは経済力があって,面倒見がよく,「よし!村を出る」という強い気持ちがあった―と語った*8。後述のように,著者らもリーダーに直接会って話を聞いた。自信をもって力強く語る姿が強く印象に残っている。

    移転についての知識・外部支援者*11 十二平地区に近い旧堀之内町(現,魚沼市)の小芋川地区で1981年に同事業による集団移転が実施された。十二平地区の住民は,この移転事例から,集団移転の制度の存在や移転したのちの住民の生活の様子などを,ある程度認識していた。このこともスムーズな移転に貢献したという。外部支援者も,コミュニティの再形成に貢献した。例えば,リーダーが外部支援者に「ムラの跡地が荒れない様に,忘れられない様にしたい」と相談したことがきっかけで,ムラ歩き(皆で跡地を歩くこと)などがはじまった。

    健康づくりのための畑: お年寄りにとって農業は健康づくりの手段でもある*12。この点,移転先でも畑が確保できたことは成功要因といってよいであろう。記録誌*8のインタビューでも,「畑が楽しみ。毎日面倒を見なければならないものは,ここで作っている」といった話が少なくなかった。畑仕事は移転後の日常の楽しみにもなっていると思われる。

    日ごろのまとまり・跡地管理: 2009年,集団移転をリードした鈴木俊郎氏*13から直接話を聞いた。同氏によると成功要因は「住民の日ごろのまとまり」と「跡地管理」の2点である。「日ごろのまとまり」があったから話がまとまったという。そして,その「まとまり」について,不便さゆえ,まとまらなければ生活ができなかったと補足した。つまり,ここでの「まとまり」は生活がかかったものであって,にわかづくりの半端なものとは異なることを強調しておきたい。跡地を美しく管理し,出て行く人の気持ちを楽にすることも大事である。例えば,跡地に植えるのであれば杉より桜が望ましい。国に跡地を売ると杉が植林され,管理されず見苦しくなるので,売らないことにしたという。全戸で結成した「十二平を守る会」も桜やアサガオの植栽などに取り組んでいる*8

     著者らが見たかぎり,跡地はとても美しく,公園のように管理されていた(図4参照)。過疎集落でよく見かける無残な廃屋はなく,モニュメントが設置されていた。そのなかでも屋号看板は非常に珍しい(図5参照)。モニュメントからは集落の存在を後生に伝えようとする強い意志を感じた。跡地には「よりどころ」と呼ばれる新しい集会所もあった。ここは山菜採り,畑仕事,キノコ取りなどの拠点として利用されているという*8。その名のとおり,跡地が心のよりどころになっていると思われる。なお,十二平地区が幹線道路沿いにあったことは,跡地の管理を容易にしたという点で幸運であった。

    図4
    ↑図4

    図5
    ↑図5

    5 東日本大震災からの復興への転用

     前述のノウハウを東日本大震災からの復興に転用することを考える。まず念のため強調しておきたい点は,集団移転は「目的」ではなく,皆が納得できる暮らしを実現させるための「手段」ということである。万が一,集団移転そのものが「目的」に転じた場合,それは暮らしを破壊することになり,将来に禍根を残すことになるであろう。地区ごとの差異を直視し,カスタマイズすることも忘れないでいただきたい*14

     十二平地区の事例からわかった移転の成功要因を,ほかの地区への転用という点から少し整理する。「お金の問題」「強力なリーダー」については,偶然という面もあって,簡単にはまねができない。まずはお金の問題であるが,もしも地震保険に入っていなかった場合,住民の負担はかなり重くなる。十二平地区の移転のように,全員が満額を受け取ったことは(不幸中とはいえ)幸運であった。今回の大震災の被害の大きさを考慮すると,義援金や税金などで住民の金銭的な負担を軽減することは決して容易ではない。よって,この際は戸建て・持ち家にこだわらないほうがよいかもしれない。例えば,長野県松本市の中北山地区の移転(第3の移転)においては,移転先に公営住宅が併設された。戸建て・持ち家を原則とする集団移転では異色であるが,この事例も非常に高く評価されている(地元関係者の感想,2011年2月)。次はリーダーであるが,「強力なリーダー」とは「声が大きい」「話術に優れる」といった意味ではない。運命を託してもよいと思わせるほどの非常に厚い信頼が必要であり,強い意志も求められる。それは付け焼き刃でなんとかなるものではない。

     「日ごろのまとまり」については評価がわかれる。もとからまとまりがあるなら特に問題はない。しかし,すでにまとまりが失われている場合,短期間でそれを作り上げることは不可能に近いであろう。

     一方,「仮設住宅へのコミュニティ入居」「移転についての知識」「外部支援者」「健康づくりのための畑」と「跡地管理」については,比較的転用しやすい(簡単という意味ではない)。これらは今後の東日本大震災からの復興においても大いに役立つノウハウであろう。ただし妄信は禁物である。例えば,仙台市がコミュニティの維持をねらって,仮設住宅入居申請を団体に限ったところ,孤立世帯が出たという*15。何にしても一筋縄ではいかないと考えたほうがよい。著しい地盤沈下や原発の被害などがあった場合,跡地管理はここにあげた事例とは大きく異なるものになるが,単純に荒廃させるのではなく,モニュメントや植栽を活用して,移転した人々の心のよりどころとしていくことが大事である。

    6 おわりに

     前述のインタビューで,鈴木俊郎氏は「『もとの場所に戻らない人は悪い人』という発想はまちがっている」と述べた。東日本大震災からの復興でも集団移転を選択肢として検討していただきたい。その道のりは決して容易ではないが,本稿で示したような先行事例の成功要因を理解しつつ,議論を重ねることによって,個々の被災地の状況にあった移転方法が見つかるはずである。研究者や識者は,過去の事例をよく研究し,学ぶべき教訓を引き出したうえで,地域の実情にあった方法を開発し提示していく必要がある。この報告が,より多くの人々が満足できるような集団移転の議論・研究の一助となれば幸いである。

    謝辞: 「十二平を守る会」の鈴木俊郎氏,移転の関係者の皆様,横浜国立大学の松田裕之教授,小千谷市産業開発センターの渡邉敬逸氏,復興デザインセンターの石塚直樹氏,共同研究会「撤退の農村計画」のメンバーから多大なる協力・助言を得た。記して深くお礼申し上げるしだいである。本研究の一部は環境省の環境研究総合推進費(E-0902)の支援により実施された。

    *1 http://www.cas.go.jp/jp/fukkou/pdf/kousou8/bukai.pdf(検討部会における検討の状況について(2))
    *2 国勢調査より。
    *3 国立社会保障・人口問題研究所『日本の市区町村別将来推計人口―平成17(2005)〜47(2035)年―平成20年12月推計』厚生統計協会,2009
    *4 「生存権守る体制必要(過疎の暮らし どう支える)」山陽新聞,2008年4月24日
    *5 総務省自治行政局過疎対策室「過疎地域等における集落再編の新たなあり方に関する調査報告書」2001
    *6 齋藤晋・林直樹「鹿児島県阿久根市本之牟礼地区における集落移転」『平成21年度農業農村工学会大会講演会講演要旨集』46-47,2009
    *7 林直樹「過疎からの「積極的な撤退」 検討すべき」『WEDGE』12月号,16-18,2010
    *8 十二平集落記録誌編集委員会『ここは じょんでぇら―震災を経験した小千谷市十二平集落の道標』十二平を守る会,2010
    *9 修正された計画もあるが,そちらはほかの地区の移転と合算されているので,初期の計画を紹介した。国土交通省都市・地域整備局地方整備課「小千谷市十二平地区防災集団移転促進事業計画の概要(防災集団移転促進事業の計画の同意について(小千谷市十二平地区))」2005
    *10 福与徳文・内川義行・橋本禅・武山絵美・有田博之「中越大震災における農村コミュニティ機能」『農業土木学会誌』第75巻4号,11-15,2007
    *11 石塚直樹・澤田雅浩「防災集団移転等促進事業に伴うコミュニティの再形成過程―中越地震により移転した小千谷市旧十二平集落を事例として―」『地域安全学会梗概集』No.26,81-82,2010 なお,小芋川地区の事例の部分は,石塚氏から直接聞いた。
    *12 林直樹「高齢者が安心して楽しく生活できる」『撤退の農村計画―過疎地域からはじまる戦略的再編』(林直樹・齋藤晋編著)pp.104-109,学芸出版社,2010
    *13 震災当時から集団移転が終了するまで区長を担当した(復興デザインセンターの資料より)。「十二平を守る会」代表。
    *14 十二平地区は農山村である点に留意。漁村の移転に適用する場合は大幅な修正が必要。
    *15 「仙台市 仮設住宅入居申請 「団体」条件で孤立世帯も」河北新報(みやぎ),2011年5月19日





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